私たちは未だ「戦後レジーム」の中にいる

高木けいの主張(第18回) 記述日 令和4年9月29日

8/10の内閣改造により、私はこの度、外務大臣政務官を拝命することになりました。

8/15には林外務大臣から、私の所掌事務としての担当地域、担当局、担当委員会を伝達され、改めてわが国外交の実務に携わることになりました。

ここ数年、わが国を取り巻く国際環境は非常に厳しく複雑化し、外交の重要性は論を俟ちません。その時期に外務大臣政務官の役割をいただいたことは政治家冥利に尽きるのですが、成果を出さなければ意味がありません。

今回の政務官就任は、私の政治人生にとって新たな一歩となりました。これもひとえに、今までお支えいただいた皆様のおかげです。これからも変わらず頑張ります!

参議院選挙…安倍元総理、凶弾に斃れる

7月の参議院選挙は、結果としてわが党勝利で終わりました。34の1人区で28勝4敗、全ての複数区で一議席以上獲得。安定した政権運営の基礎が築かれました。

しかし、7/8に安倍元総理が凶弾に斃れるという、信じられない事件が起こりました。今のわが国で、このようなテロによって要人が暗殺されることを誰が想像したでしょうか。実はそういう気持ちが手薄な警備に繋がり、わが国の最も重要な政治家の一人であった、安倍元総理を失う原因であったとも感じます。

平和であることは尊いことですが、自然災害に対して備えを怠らないことが大事なように、日頃の様々な危機管理は、わが国において認識を新たにすべき最優先事項だと思います。

安倍元総理の国葬儀

9月27日の国葬儀を振り返って、私には主に2つの感慨があります。一つは、国葬儀はとても感動的であり、実現できて本当に良かったということ。

岸田総理(葬儀委員長)の挨拶、菅前総理(友人代表)の挨拶は共に、真心からのお言葉で強く心を打たれました。特に菅前総理の挨拶が終わったあと、日本武道館の中は温かな拍手に包まれました。

私は立場上、一般の方よりもたくさんの葬儀に出ていると思いますが、未だ葬儀の挨拶で拍手が湧いた経験はありません。本当に温かく、かつ簡素で厳粛な素晴らしい葬儀は、外国からの賓客にも大きな感動をお持ち帰りいただくことになったでしょう。

2つ目は、この間のメディアの報道についてです。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは三国志演義の有名な言葉ですが、この間のメディアは、凶弾に倒れた安倍元総理が未だ政治の中心にいるかのようでした。生前からの誹謗中傷以上に「国葬反対」の扱いが大きかったと感じるのは私だけでしょうか。

安倍元総理は「戦後レジームからの脱却」を基本理念としていました。昨年の東京オリンピックと同じように、今のメディアの報道姿勢(始まるまでは批判一辺倒、始まれば実況生中継)を見て、私はメディアこそ戦後レジームの象徴と改めて確信しました。私たちは一刻も早く「戦後レジームからの脱却」をはからなければならないと考えます。

一方、国葬儀当日、多くの国民はメディアの扇動に乗らず、一心に安倍元総理の御霊安らかならんことを願い、一般献花の列に整然と並んだことも事実です。どのくらいの方が並ばれたのか正確にはわかりませんが、九段坂公園に設置された献花台を目指して、列が二重三重の折返しの上、JR四ツ谷駅付近まで達したと聞きました。

知人のFacebookでは、半蔵門駅から並んで献花できたのは5時間後、私の事務所にFAXをくれた支援者の方は、5時間半並んでの献花だったと報告がありました。

実際私もその長い列を見て、これほど多くの方が献花に来ていただいたことに驚きました。こうしたことは、報道されていたのか、いなかったのか…。私の知る限り、大きく取り上げられた印象は皆無です。

ともすると私たちは、メディアの報道を知らず知らずのうちに鵜呑みにしがちです。しかし、献花の列に整然と並ばれた方々は、自ら情報を取得し、自らの知性と常識良識に従って判断し行動されたのだと思います。安倍元総理が浄土から、列に並ばれた方々を見ていたとすれば、まず強い日差しの中で長時間並ばせてしまったことにねぎらいの言葉をかけ、その上でメディアに左右されないその行動を惜しみなく称賛したことでしょう。

令和4年9月27日は、国葬儀を通じて「戦後レジームからの脱却」が必要と気づいている国民が多いことを、いみじくも強く印象付けた一日でもありました。

わが国が今なさねばならないことは何か

この間、外務大臣政務官として二度の国際会議に出席し、国の代表として働くことの重みを、改めて強く感じました。

一方で、外交は人との繋がりが重要であることも再認識し、安倍元総理が長期にわたり日本の顔として活躍されたことが、わが国にとっていかに有益であったか、国外において改めて感じることでもありました。

さらに、わが国は「大国」であることを、海外では特に強く感じさせられました。技術力、経済力、信頼性など、わが国への期待は非常に大きなものがあります。それに応えるためにも、わが国を(経済)成長しない国から、成長する国にしなければなりません。

根本的にはそれが一番大きな、国際社会におけるわが国の責任及び役割とすら思います。 平成の30年間は、緊縮財政とデフレによる「失われた30年」とも言われてきました。

一昨年からのコロナの影響もあり、わが国は諸外国と比べてほとんど経済成長していない、にもかかわらず暴動が起きることもなく、それなりの生活ができている、極めて稀有な国でもあります。

しかしこの状況こそデフレであって、チャレンジする気持ちを失わせ、国民の実質的な平均賃金が下がっていることが示すように、一日も早く脱却しなければならない状態です。

いま必要なのは、デフレ脱却のための正しいマクロ経済政策であり、それは国にしかできない大きな経済の流れをつくることです。

アベノミクスの三本の矢はそのプロセスをわかりやすく解説したもので、

①大胆な金融政策 ②機動的な財政出動 ③成長戦略、の3つでした。

①はすでにできるところまでやりましたので、本来は②をできるだけ早く大胆に行うべきなのです。そして同時に、②の主力は③の成長分野への投資、またそれに資する人材育成に他なりません。

つまり、岸田総理の「新しい資本主義」は②③に重点が置かれて初めて実効性が出てくると考えます。アベノミクスの徹底した完遂こそ、実は今こそ必要なマクロ経済政策です。

しかしここで、それを阻むのは「戦後レジーム」にほかなりません。財務省が主張する財源論こそ、財政法第4条という戦後レジームに帰着します。

財政法四条が制定された理由を以下、財政法の起案者である「大蔵省」平井平治 主計局法規課長の解説書「財政法 逐条解説/昭和二十二年」を引用します。

我が国の歴史を見ても、公債無くして戦争の計画遂行の不可能であった事を考察すれば明らかである…公債の無い所に戦争は無いと断言し得るのである。従って、本条(財政法四条)はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものである、とも言い得る。

憲法、外交、防衛、財政、教育…あらゆる面で、私たちは未だ「戦後レジーム」の中にいます。だからこそ、わが国が「戦後レジームからの脱却」を果たすことが必要であると、安倍元総理は主張し続けたのです。 「戦後レジームからの脱却」は、わが国の国家存立の根本への問いかけであったのです。

新しい志を立て、不断の努力を

先日、明治の産業遺産群(世界遺産登録済)の貴重な資料を公開している「産業遺産情報センター」を訪ねました。

加藤康子センター長の力強い解説を聞き、わが国の先人がどのような苦労を重ねて産業面で近代国家をつくったのか、改めて深く思いを致す機会をいただきました。

そして、わが国は志を立てて前に進んでいくとき、極めて大きな力を発揮することができ、「やればできる国」であることを確信しました。それは願望ではなく、明治の実績、エビデンスがあるからそう言えるのです。

それでは現代のわが国の志は何かといえば、間違いなく「わが国の尊厳と国益を護る」ためのあらゆる努力だと思います。つまりそれこそが「戦後レジームからの脱却」なのです。

そうした志を立て、実行し始めた時、私たちに明るい未来の可能性が見えてくるのではないでしょうか。明治維新の精神をつくった吉田松陰は、「夢なき者に成功なし」と言いました。この場合、夢とは目指すもの、志と同義です。

「夢なき者に理想なし。
 理想なき者に計画なし。
 計画なき者に実行なし。
 実行なき者に成功なし。
 故に、夢なき者に成功なし」

私たちは大きな志を持って、明るい未来を築いて行かねばなりません。私はそれが国民の幸せをつくることであり、わが国が世界の期待に応えることだと確信します。私はこれからも一歩一歩、着実に歩みを進めてまいります。皆様の変わらぬご指導ご鞭撻をお願い申し上げる次第です。

  

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