「決められない政治」への逆戻りは許されない 
高木けいの主張(第2回)

 平成28年8月1日から、東京都は小池百合子氏が知事となりました。都民の大きな期待を担って誕生した小池知事。しかし現実はどうでしょうか。就任以来約10か月が経過した平成29年6月現在、都政は何が、どのように前進したのでしょうか。そして都政はこれから、どこに向かっていくのでしょうか。知事の任期4年の約1/5が経過した現在、小池都政の実態がいよいよ鮮明になる中で、私はある一つの思いを日増しに強くしています。それはいままさに、小池都政の実態をできるだけ多くの都民・国民に正しく伝えなければならないということです。

■政局勘はあるが大局観は?
 小池知事の政局勘の鋭さは、多くの人が知るところ。都知事選への出馬のタイミング、敵をつくり劇場型政治に持ち込む手法は、メディアの使い方と相まって、非常に「うまい」と評価されます。一方で大局観については、私がこの10か月以上見ている中で、全く無いように感じます。例えば、いまの都政にとってオリンピック・パラリンピックの位置づけはどういうものなのか。明確な答えを持っていれば、これほどの遅れと混乱を引き起こさなかったでしょう。現下の都政にとってオリパラを成功させることは、最優先課題の一つです。それは国際公約であり、失敗すればわが国の信用が失われるからです。開催都市の栄誉を獲得したブエノスアイレスのIOC総会には、プレゼンターとして高円宮妃殿下久子さまにもお出ましいただき、安倍総理も一役買ってくれました。皇族にまでご協力いただき、国を挙げて招致したオリパラですから、東京はわが国に対しても、世界に対しても責任を負っているのです。それはとりもなおさず、開催都市の責任者として都知事の責任でもあります。
 こうした責任があるからこそ、招致決定以来の東京都は、都政の全政策の時間軸を2020年に合わせてきました。2020年までに実行することと、2020年以降に行うこと。小池知事誕生以前の都政には、そうした明確な時間軸がありました。都政全体を俯瞰して見ることができれば、このことに容易に気づくはずです。ましてや小池知事は東京選出の国会議員だったはず。オリパラのことは多少なりとも知っているはずです。にもかかわらず、知事はこの10か月間、これまで多くの方々の努力によって積み上げられてきたその時間軸を、根底から覆すことに終始しました。その象徴が、築地市場の豊洲移転延期と3つのオリンピック会場問題(海の森水上競技場・有明アリーナ・アクアティクスセンター)でした。
■豊洲移転延期がもたらすもの
 築地市場の豊洲移転は、平成28 年 11 月7日に実現しているはずでした。しかし小池知事の独断による突然の移転延期宣言によって、この 30 年にわたって続けられてきた関係者の努力と議論が一瞬にして反故にされました。この決定には、三つの問題があります。
  1. ①市場審議会、新市場建設協議会、都議会など、いままで移転の方針を承認・議決してきた関係者に諮られることなく、小池知事の一方的な宣言によって今までの行政的・政治的決定が覆されたこと。つまり民主主義の手続きが全く取られていないこと。
  2. ②市場の移転再整備は、築地市場の老朽化・狭隘化が限界に来ていることから、現在地再整備の失敗を経て導き出された結論であり、移転しないということは結論が出されるまで築地にとどまり続けることを意味すること。
  3. ③都政のすべての政策の時間軸を2020年オリパラに合わせてきたにもかかわらず、環状2号線建設問題をはじめとする政策実現の仕組みが根底から覆されたこと。
 これら3つの理由全てにおいて、豊洲移転延期は間違っています。
 知事が移転延期の理由とした3つの事柄(①安全性への懸念 ②巨額かつ不透明な費用の増加 ③情報公開の不足)を改めて検証してみると、①以外は移転延期の理由にはなりません。そのことは先の都議会予算特別委員会でも再三にわたり議論されたことです。そして①についても、すでに豊洲市場の安全性について、科学的見地での決着はつけられています(日経ビジネス2016年11月10日(木)「豊洲市場の土壌汚染問題、健康被害はあるのか」 他、数多くの論文などで科学的見地について確認できます)。すでに議論は出尽くし結論は明らかなのに、かたくなに結論を出さずにいた小池知事には、東京の市場がどうあるべきかということよりも、都議会議員選挙という政局が大事であったことは言うまでもありません。これが「都民ファースト」でないことは明らかです。そして6月20日、都議選を目前にしてついに市場問題における知事の考えが示されましたが、これはこの問題に一層の混迷をもたらすことになると考えます(詳しくは後述)。
 築地市場が移転しないことによる大きなマイナスは、例えば①東京の基幹市場が劣悪な環境に置かれ続けること、②オリンピック・パラリンピックに間に合うよう整備計画をつくった環状二号線の建設・供用が、いま現在ですでに絶望的なこと、③築地市場移転後、この敷地をオリパラ期間中は臨時の駐車場として選手輸送などの拠点とする予定だった計画が根底から変更を余儀なくされること、などです。環状二号線とは、東京港の物流の中心を担う東京湾岸部の最重要路線であり、さらにオリンピック選手村と国立競技場を結ぶ骨格幹線道路として、オリンピック開催計画書でIOCに約束したインフラの一つです。ちなみに、築地市場の一部を通る都市計画道路となったのは、平成8年の都市計画変更によってであり、2020年のオリンピック招致によって急遽この路線がつくられたわけではありません。
 築地市場の豊洲移転がなされないならば、①②③の計画に代わるインフラの代案を知事は示す責任があります。そしてそれは2020年のオリパラ開催に間に合う計画でなければなりません。
■「築地を守る。豊洲を活かす」は現実的か?
 都議会議員選挙が6月23日から告示される直前の6月20日、小池知事は延期していた築地市場の豊洲移転について、「築地を守る。豊洲を活かす」という築地も豊洲も活用する考えを、これも独断で表明しました。今回も議会及び都庁の関係部局に知らされることなく、この案は一方的に表明されたのです。この案がいかに現実離れしているのか、私たち都議会自民党が統一見解を出しましたので、こちらをご参照ください。
 結局、都議選前に「決められない知事」のイメージを払しょくするためにこのような案を出したのでしょうが、内容は不透明な部分がほとんどで、築地の業界関係者も判断のしようがないというのが正直なところのようです。
 小池知事の考えが夢物語であることを一つだけここで指摘しておきます。それは築地市場の土地を、年間160億円で50年間貸し出し、その収入で豊洲市場の整備財源を賄いというもの。簡単に言うと、東京都がおよそ4000億円の土地を50年間投資物件として活用するということです。今まで行政が不動産投資をして成功した事例を、私は知りません。特に東京都にあっては、現在いくつかの土地信託を行っていますが、当初の見込み通りの利回りが取れないので、事業報告のたびに批判が出ていることは、東京都及び都議会関係者なら誰でも知っていることです。それがこのたびは4000億円もの物件を扱おうとしているのです。この金額がいかに大きいかは、以下の開発と比較していただければ一目瞭然。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(2001)1700億円、東京ディズニージー(2001)3000億円、六本木ヒルズ(2002)2700億円、新丸の内ビルディング(2007)900億円。この先50年間、この不動産投資に誰が責任を持てるというのでしょうか。
■「決められない政治」への逆戻りは許されない
 民主党政権から自民党政権に代わった平成24年の暮れ。わが国は決められない政治からやっと脱却し、それ以降さまざまな課題に直面しながらも順調に進んできました。しかしわが国の首都東京は、いままた「決められない知事」による「決められない政治」に戻っています。都議会では、公明党・共産党・都民ファーストなどの、いわゆる小池与党連合が、知事の考えを「忖度」するあまり、この状態を許しています。この流れを変えることができるのは、私たち自由民主党しかありません。私たちの方針は従前どおり、正しいことは正しいと言い、間違ったことは正していく。知事の方針が正しければ当然協力し、間違っていれば修正を求めていく。二元代表制の下、私たちは「知事の与党」ではなく、「都民の与党」であるからです。こうした考え方を実現するには、6月23日から始まる都議会議員選挙で、私たち自由民主党に都民の皆様の更なる後押しが必要です。停滞している都政を前に進めていくため、どうかお力をお貸しください。私高木けいは、その先頭に立って頑張ります。
 (先般幻冬舎から緊急出版された『「小池劇場」が日本を滅ぼす』有本香著をご覧いただくと、小池都政の実態がより鮮明にご理解いただけると思います)

政治は国民がつくるもの 
高木けいの主張(第1回)

 昨年来、わが国の政治は劇的な進歩を遂げました。平和安全法制の制定は、限定的とはいえ集団的自衛権の憲法解釈変更に対して、実務的な法整備となりました。経済政策の柱アベノミクス「新三本の矢」は、高い目標を設定し、国民全体に実感の伴う景気回復を方針としました。安倍政権の支持率が安定的に推移し一定の評価を得ているのは、目指すべき方向を国民に明確にわかりやすく示しているからだと考えます。

「主権」及び「主権者」とは何か
 平成28年のわが国政治の一つの注目点は、7月の参議院議員選挙から、公職選挙法改正による18歳選挙権の実現です。私は、若者世代が18歳から「主権者」としての意識を持ち、社会人としての自覚と責任を果たされることを大いに期待しています。
 そこで「主権」及び「主権者」の定義は何か、という問題は重要な意味を持ちます。平成28年4月1日付産経新聞の正論欄に、埼玉大学名誉教授である長谷川三千子氏の『本当の意味での主権者教育を』という論文が掲載されました。全く正鵠を得た指摘と感じました。要するに主権及び主権者とは、「国民主権のもとでは国民は単に支配される者ではない。治められる者であると同時に治める者でもある」ということです。そして長谷川氏はこう続けます。「もちろん、現在のいわゆる議会制民主主義のもとでは、国民が選挙で選んだ自分たちの代表が政治を取り仕切ることになり、形の上では治める者と治められる者とが対立しているようにも見えます。しかし、その代表はあくまでも自分たちの選んだ代表であって、そのことを忘れては、「国民主権」は成り立ちません。たとえば、なにか不満があるたびに「安倍ヤメロ」「日本死ね」と口汚く罵(ののし)ればよいと思っているような人は、とうてい「主権者」とは言えない。それは自分をもっぱら「治められる者」のうちに押し込め、せっかくの「主権」を投げ出している態度と言わねばなりません」。
 私は一人の政治家として、政治家の責任を放棄するつもりはありません。しかし民主政治において、「主権」や「主権者」とは何かを突き詰めて考えたとき、私たちはもう一度、今の政治の仕組みや、私たちが採用している民主主義という制度およびその正当性について、真摯に考察する必要があると感じます。ちなみに東京都教育庁では、主権者教育のための手引『民主主義ってなんだろう?』を作成し、都立高校生に配ることとなりました。ご興味のある方はご一読ください。
思い出されるケネディの就任演説
 つきなみですが、いまさらながらアメリカ合衆国第35代大統領であった、ジョン・F・ケネディの大統領就任演説(1961.1.20)の最後の一説は、非常に感動的であると同時に、民主主義という政治体制を考えるうえで大変参考になります。ケネディはまず、アメリカ国民に次のように問いかけます。
“My fellow Americans,
ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country.”
「アメリカ国民諸君、
国が君たちのために何ができるのかを問うのではなく、
君たちが国のために何ができるのかを問うてほしい」

 次に世界中の人々に対して、
“My fellow citizens of the world,
ask not what America will do for you,
but what together we can do for the freedom of man.”
「世界の同胞諸君、
アメリカが君たちのために何ができるのかを問うのではなく、
我々がともに人類の自由のために何ができるのかを問うてほしい」

 そして最後に、彼の理想とする政治哲学を世界中の人々に問いかけました。
“Finally, whether you are citizens of America or citizens of the world, ask of us here the same high standards of strength and sacrifice which we ask of you”
「最後に、アメリカ国民、そして世界の市民よ、私達が諸君に求めることと同じだけの高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」

 ケネディはこの就任演説で、まさに民主政治においての「主権」及び「主権者」とは「単に支配される者ではない。治められる者であると同時に治める者でもある」ということを、アメリカ国民のみならず全世界の人々に向かって語りかけたと、私は考えます。そして自身の立場である政治指導者とは、国民に求めた「同じだけの高い水準の強さと犠牲」を求められるべきであり、それに耐えうる強靭な精神と肉体の持ち主でなければならないことを、その後の自らの行動で示そうとしたに違いありません。なぜならそれが、民主政治の正しい在り方であり理想であると信じたからです。ケネディは、理想主義者とも言われた政治家でした。彼が35歳の時に執筆した『勇気ある人々』にも、そうした彼の政治哲学が随所にちりばめられています。
民主政治の正当性を担保するものは何か
 中世ヨーロッパの王権神授説という政治思想は、ヨーロッパでの普遍的価値観であったキリスト教を背景として、王が絶対的な主権者とされる政治秩序をつくりあげました。その正当性を担保するものは、旧約聖書の『創世記』の一説でありました。一方、その政治思想には矛盾があるとして、ホッブスやロックは、主権者は国民であるとする近代民主政治の扉を開きました。ここで私たちが考えなければならないことは、キリスト教の教義(旧約聖書の『創世記』)が王権神授説の正当性を担保したのだとすれば、近代民主政治は何によってその正当性が担保されるのか、ということです。
 「国民主権」という近代民主政治の基本的理念は、「国民は単に支配される者ではない。治められる者であると同時に治める者でもある」という国民自身の明確な意識の必要性を求めます。そして民主政治は「国民主権」である以上、国民の政治に関わる情熱、または参加の度合いによって、その正当性が担保されるか否かが決まると言えます。それは現代の極めて単純な例をあげれば、選挙の投票率や競争倍率(選挙区の定数に対する立候補者の数)が数字で示すことになります。果たして私たちは、民主政治の正当性を担保するだけの政治的情熱と参加意識を持ち合わせているでしょうか。
政治は国民がつくるもの
 民主政治は「主権者」たる国民がつくるものです。
 1871年(明治4年)『學問のススメ』初編を書いた福沢諭吉は、その末尾で次のように政治の本質を指摘しました(原文のママ)。
 「西洋の諺ことわざに「愚民の上に苛(から)き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災わざわいなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。(中略)今余輩の勧むる學問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり」
 つまり福澤は、良き政府をつくるために国民が進んで学問にはげみ、明治となったわが国の新しい国づくりに努力しよう、と言いたかったのです。150年後のいまでもなお、福沢の指摘は示唆に富むものがあります。選挙権年齢が18歳に引き下げられることをきっかけに、私たちは改めて「主権者」としての意識と役割を確認し、常に「良き政府」をつくる努力を怠ってはならないと思うのです。

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